何かそこに深い教えがあるという匂い ~日本人に期待されること~

20世紀最大の哲学者と言われたドイツのハイデッガー
老後の日記にある内容は、大変印象的です。

今日、英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の歎異抄を読んだ。

もし10年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、
自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。

日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中に拡めることを生きがいにしたであろう。
だが、遅かった。

日本は戦いに敗けて、今後は文化国家として、世界文化に貢献するといっているが私をして云わしむれば、
立派な建物も美術品もいらない。

なんにも要らないから、聖人のみ教えの匂いのある人間になって欲しい。

商売、観光、政治家であっても、日本人に触れたら何かそこに深い教えがあるという匂いのある人間になって欲しい。

そしたら世界中の人々が、この教えの存在を知り、
フランス人はフランス語を、デンマーク人はデンマーク語を通じて、
それぞれこの聖者のみ教えをわがものとするであろう。

そのとき世界の平和の問題に対する見通しがはじめてつく。

21世紀文明の基礎が置かれる。

世界に多くの国がある中で、日本は、大きな役割が期待されていることをうかがい知ることが出来ます。

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ある中国紙は、今月13日、記事に「日本はなぜ独立した文明なのか?決して完全に欧米化したわけではない」を掲載。

故サミュエル・ハンチントン氏の研究をもとに、日本社会の特徴を紹介しました。

1998年12月、ハンチントン氏は東京で講演した「21世紀日本の選択」(のちに『文明の衝突と21世紀の日本』集英社新書に収録)で世界は今後、7から8のグループに分かれると主張した。

そのグループとは文明を基軸として結集するもので、ヒンドゥー文明、西欧文明、ラテンアメリカ文明、東方正教会文明、中華文明、イスラム文明、アフリカ文明、そして日本文明があげられている。

唯一、一つの国家だけで文明圏を築くとされた日本は明らかに異質な存在だ。

ハンチントン氏のいう文明とは固有の価値観、振興、社会制度、社会構造を持つものを指す。

明治維新、第二次大戦の敗戦と近代以後2回も大きな転換点を迎えた日本は、一見完全に欧米化したように見えつつも独自の要素を守り続けている。

こうした外来の文化を大胆に取り込む「保守にして革新」であることが日本の特徴だという。

不況は、全世界を覆い、明るい話題の少ない昨今ですが、たとえ景気が回復し、経済危機を乗り越えたとしても、それで人々は幸せに生きられるようになったのではありません。

古今東西の人類の、変わらぬ苦悩の根元を明らかにし、すべての人の救われるたった一本の道を明らかに教えていかれた方が親鸞聖人です。

正しい親鸞聖人の教えを、親鸞会は、ひたすら皆さんにお伝えする以外にないのです。

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「人生は死に至る戦ひ」と言い残して「死」を選んだ人生

 芥川龍之介の、焼却されたはずの遺書が見つかったそうです。
 朝日新聞によると、

 35歳で自殺した作家芥川龍之介の遺書4通の現物が、東京都目黒区の遺族宅から見つかった。芥川の遺書の内容は6通分が全集に収録されているが、一部を除いて焼却処分されたと思われていた。
 今回新たに現物が見つかったのは、妻あての2通と「わが子等(ら)に」と題された子供たちにあてた1通、友人の菊池寛にあてたと思われる1通。
 芥川らしい細い字体で、「人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず」(子供たちあて)など、一字一字楷書(かいしょ)で丁寧に書かれている。(一部省略)
「人生は死に至る戦ひ」芥川龍之介の幻の遺書4通発見

とのことですが、「死に至るまで戦い続けるのが人生だ」と言いたかったのでしょうか。
 しかし、戦い疲れて「死」を選んだ芥川の胸中や如何に。

 芥川龍之介は、別の遺書で、次のように書いています。

 誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない……僕は君に送る最後の手紙の中に、はっきりこの心理を伝えたいと思っている。(中略)君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであろう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。(中略)少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である
(或旧友へ送る手記)

 自殺の心理に、ひいては現代が直面する問題に、芥川は解明の糸口を与えていないでしょうか。

 それにしても芥川龍之介の人生を見てみると、正に「戦い」というか「苦難」の連続でした。
 詳しいことはWikipediaの芥川龍之介の項や、おなじみ「親鸞会・名句名言のウラ側は」の芥川龍之介のページを見て頂きたいので、ここでは省きます。

 自殺前の芥川には、八人の扶養家族がいたと言われます。
 妻と三人の子供、養父母など……そこに突然姉の夫が鉄道自殺し、その遺族が加わり、十二人になりました。
 また、その夫が抱えていた高利の借金が重くのしかかり、芥川自身、病気も忘れて東奔西走する中、猛烈な勢いで筆を走らせたそうです。

「僕は多忙中ムヤミに書いている。婦人公論十二枚、改造六十枚、文藝春秋三枚、演劇新潮五枚、我ながら窮すれば通ずと思っている」(知人への手紙)

 芥川は、気力と睡眠薬とで、辛うじて生を保っているに過ぎなかったそうです。最後の力を振り絞る——だが、何のために?

「死にたがっているよりも生きることに飽きているのです」(或阿呆の一生)
「彼は彼の一生を思い、涙や冷笑のこみ上げるのを感じた。彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだった」(同)
「僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?」(歯車)

 これらの言葉を遺稿に残し、芥川龍之介は、三十六年の生涯を薬物自殺で閉じた……。

 人生は、この傷つきやすい作家には重荷であったのでしょう。

 再び遺書から引用しましょう。
「僕はゆうべ或売笑婦と一しょに彼女の賃金(!)の話をし、しみじみ『生きる為に生きている』我々人間の哀れさを感じた」(或旧友へ送る手記)

 人生は、多少の歓喜を除けば、多大な苦痛を与える「涙の谷」。
 絶え間なき苦難と闘って、なぜ生きねばならぬのか。意味も目的も分からず、「生きるために生きる」以上の悲劇はないでしょう。
 そんな人生を、「地獄よりも地獄的である」と芥川は表現したのでしょうか。(侏儒の言葉)

 私たちが最も知りたい、また知らねばならないのが、人生の目的でしょう。
 真の人生の目的を知った時、一切の悩みも苦しみも意味を持ち、それに向かって生きる時、すべての努力は報われるのです。

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ご生誕を祝う……「降誕会」

誕生日、あなたはどんな祝い方をしますか?

「もう、祝える年齢ではなくなったよ……」と、寂しい声も聞こえてきそうですが、この世に生を受けた喜ばし日ですから、自分の人生について考え、仏法を聞く機会にしたいものです。


さて、親鸞聖人は、承安3年5月21日、京都に生まれられた方でした。
その聖人のご生誕を祝い、開かれるのが浄土真宗最大級の年中行事「降誕会(ごうたんえ)」です。
「報恩講」と並んで、多くの参詣者でにぎわう行事ですね。

もちろん、浄土真宗親鸞会でも毎年、親鸞会館で降誕会が行なわれます。
昨年の降誕会の様子は「浄土真宗親鸞会 親子ネット」や「親鸞会 ダイアリー」などに紹介されていますので、少し覗いてみてください。

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いじめ自殺に思う

教育実習に行ってきた友人から聞いた話。

実習最後の会議で、部長から「靴のかかとを踏んでる人が、『かかとを踏むな』と子供に注意することはできない。同じように、幸せでない人間が、子供の将来を考えてやろうったって無理だ。だからまず皆さんが幸せになってほしい」とあったそうです。

 今、いじめ問題など、子供たちは様々な苦難を抱えています。
 しかし、子供を指導する立場にある教師でさえ、不登校・いじめ・学級崩壊などの問題から自信を無くし、精神病になったり、教師の道をあきらめる人もいます。
 果ては、履修不足問題で自殺する校長まで出る始末……。

 子供たちと真っすぐ向き合い、「苦しくとも生きる理由がある」と、きちんと伝えることが、大事なことではないでしょうか。

親鸞会netでは、仏教の教え、特に因果の道理からいじめ自殺問題を取り上げ、考察しています。

いじめに関してですが、やってはいけない、とは言えても、『それは悪なのだ』と断言できる教員や、保護者が極めて少ない現実があります。まして悪因悪果、自因自果、自分の人生は自らの種まきでつくっていくのだと言える人は皆無に等しいと思います

 ただ、テーマが重いだけあり、すぐに理解できない面もあると思います。
 子供たちの心のケアと共に、何が悪で何が善なのかを明らかにし、「生きる意味とは何か」を、少しずつ問うべきなのでしょう。

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真の延命の目的は?

富山県の射水市民病院で起きた、延命治療の問題。
「人工呼吸器が外され、患者7人が死亡」のニュースは、富山県のみならず、全国に衝撃を与えました。
テレビや新聞でも特集が組まれ、人工呼吸器の取り外しの是非、人の死の在り方をめぐり、様々な意見が寄せられました。

その多くは、家族の意思を尊重した医師の判断に同情的で、延命停止もやむなしとするものでしたが、同時にそれは、「延命してまで、なぜ生きる」。それが分からぬ現代人の心を浮き彫りにしました。 外された人工呼吸器(親鸞会・特集)より

延ばす命は、生きる喜びを与える為ではないでしょうか。しかし、それが苦しみならば、延命に何の意味があるのでしょうか。
命の尊厳が問われる問題の奥底に、人間存在の深い意味が隠されていると思わずにおれません。

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語られなくなった親の恩

親が子を、子を親が、殺害してしまうという事件を聞くにつけ、胸が締め付けられる思いがします。

戦時中は「忠孝」と言われ、孝行は有無を言わさず「良いこと」と教育されていました。
ところが最近は、孝行どころか、親を親とも思わぬ子供が急増し、「言うことをまったく聞かない」と嘆く親の声が、巷にあふれています。
また逆に、子を子と思わない、虐待を繰り返す理不尽な親が増えているのも事実ではあります。

さて、我が子に、「なぜ孝行しなければならないんだ」と聞かれたら、親は、どう答えるでしょう。

その昔、仏教では「父母恩重経」というお経に、父母の恩について詳しく説かれています。
十に分けて教えられているので、「親の大恩十種」と言われます。

感謝は謝恩ともいわれ、「恩」は、「因を知る心」と書きます。自分が幸せなのは、あの人のおかげだ、こんな恩恵を受けているからだと知り、有り難いと感じて、どうにかお返ししたいと努力する。 現在の幸せの原因を知れば、必ずそういう心になります。 「恩を知るは大悲の本なり、善業を開く初門なり(乃至)恩を知らざるものは畜生よりも甚だし」 仏教では、この知恩、感恩、報恩の大切さを徹底的に教え、釈尊は恩を知らない者は動物以下である、とまで言い切られています。

こう説明している親鸞会 親子ネットには、この十種についての詳しい解説があります。

恩を知ること、恩を感じること、そして報いることが、現代には極めて欠如していると言われて久しいですが、人間として大切なことを、見失いたくはないですね。

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