何もしなければ消え去るのみ……寺の役割と親鸞会

親鸞会と本願寺

本願寺派光淳新門のつぶやきが聞こえてきました。
Twitterをやったら、必ず誰かがフォローしてくれると思います。

というのも、6月6日付中外日報にあった「教団の現状に強い危機感」というタイトルで、光淳新門の「未来を嘆く声」が掲載されていたからです。

記事から新門の言葉を抜き出してみますと、

「近年さまざまな状況の変化とともに浄土真宗のみ教えを伝えていくことがだんだん難しくなってきております」
「今までの檀家制度というあり方、あるいはお寺参りの習慣もだんだんと伝わらなくなっています」
「首都圏ではもう既に寺院、僧侶の役割がなかなか必要とされなくなっていることを強く感じます」
「社会の中で僧侶やお寺の役割が無くなってしまうという非常に厳しい将来が、何もしなければ今のままでは来るのではないかと思っています」

本願寺派の次期トップからこのような危機迫る言葉が聞かれるとは、相当ひどい状態なのではないかと想像できます。
光淳新門は京都から東京・築地本願寺に拠点を移していますから、首都圏の状況を目の当たりにした素直な感想だったのでしょう。

「何もしなければ非常に厳しい将来が来る」……当然です。
今こそ、寺院と僧侶の役割を見直す時です。

そして新門は「浄土真宗・親鸞聖人の教えをよりどころとして生きる」ことを勧めているのですが、是非とも危機感を持って布教伝導に邁進してもらいたいと願っています。

親鸞会は、当然ながら、大々的な活動は行わず、一人の胸から一人の胸へ、静かに、着実に、親鸞聖人の教えを地道に伝える活動をしてきました。
『親鸞聖人のみ教えを正しく、一人でも多くの方に伝える』という役割のみを果たし続けてきたのです。

新門も是非、親鸞会館の法話に参詣してみてください。
これからの浄土真宗のあり方について、大きなヒントが得られると思いますよ。

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親鸞会の法話 法味あふれるにぎわい

親鸞会

 浄土真宗の、本来あるべき姿が、親鸞会には存在します。

 毎日新聞のサイトに「本願寺広島別院(1934年)=中区寺町◇露店や門徒でにぎわう」が掲載されているのを読みました。

 広島市寺町は、西本願寺広島別院を中心に真宗寺院が多く立ち並ぶことで地元では有名な町です。
「別院は別格。子どもが気軽に入って遊べる雰囲気じゃなかった。」
と、記事中のインタビューでもあるように、子どもが遊ぶ場所を選ぶ時でも躊躇するほど、おそらく昭和初期までは法が説かれ厳粛な空間であったに違いありません。
 県内各地から強信な安芸門徒が集まった「報恩講」は、さぞかし賑わったことでしょう。

 ところが、今の現状については「最近は報恩講でも説教を聞くとすっと帰る人が多くなった。これも時代かな」ともらす程。
 法話に集まる人が少なくなったことを時代の流れのせいにするのは仏教界のみならず宗教全般に見られる傾向ですが、それは半ば諦めの言葉であり、根本原因であるとは言えません。

「親鸞聖人の教えを正しく伝える」ところには、当然、人が多く集まってくることを、親鸞会の存在が証明していると言えましょう。

 毎年行なわれる親鸞会の報恩講は、2000畳の大講堂に聞法者があふれ、みなさん真剣に聞き求められます。
 もちろん、ご法話が終わってすっと帰る、どころか、そのまま同朋の里へ行って信心の沙汰でにぎわいますよ。

 それは珍しい光景ではありません。
 浄土真宗の、本来あるべき姿なのでしょう。広島の別院には、少なくとも戦前にはまだそれが残っていただけのことです。
 

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イベント開催の寺々と、親鸞会の姿

Shokoji

 昨年、東京ボーズコレクションなるものが築地本願寺で開催されましたが、それに続けとばかりに最近、寺で様々なイベントが催されるのをよく見かけます。

 先日も富山県きっての古刹・勝興寺で、ジャズコンサートが開かれ200人近い若者が本堂に集まったといいます。
 そもそも勝興寺は、かつて何千もの同行が、夜通し法を語り合う仏法讃嘆の場でした。
 しかし、教えを求めて訪れる人は激減。「勝興寺の七不思議」なる浄土真宗教義とは全く関係のないオカルト的な話題で観光名所にしようしている中の、本堂でのジャズコンサートでした。
 
 コンサートを開く寺は、勝興寺だけではないようです。また、「坊主バー」なるものも存在したり、平和を願うパネル展を催したり……

「今や教義を説くだけでは教えは伝わらないと思います」
「親鸞聖人が、こうおっしゃったとか、教えはこうだ、というだけでは不十分だと思います」。
 二年前、『朝日新聞』の対談で、西本願寺の門主が言ったことが思い出されます。
 こうした自信のなさが、そのまま末寺の布教姿勢となっているのでしょうか。

 仏法に背を向ける現代人を、何とか娯楽やイベントで引き寄せようとする……その発想が何とも姑息に感じます。

 親鸞聖人のみ教えこそが苦悩に満ちたこの世の闇を破る光明であり、その教えを正確に伝えてこそ、法を尊ぶ人が集まってくるのではないでしょうか。
 それは浄土真宗親鸞会の今の姿が、実地に証明していると言えましょう。

 今日もまた、親鸞聖人の教えを聞き求めようと、親鸞会正本堂2000畳の大講堂に、はたまた同朋の里に、人々が集っています。


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初めて参詣の方にもよく分かる親鸞会の法話

親鸞会の法話

 親鸞会の法話会場には、様々な方々が参詣しています。

 初めて参詣した、まだよく仏教について詳しく知らない方や、よくよく重ねて聞いてこられた方。はたまた、学者のように多くの仏教書を読み込んでいる方、教えに反発心を持っている方、などなど……。
 そんな様々な思いを持った方々が集まるのが「法話」ですので、当然「説法」というものは、簡単にできるものではありません。

 浄土真宗親鸞会では、基本的に「初めて参詣した人でも分かるように」をモットーに説法がなされています。
 
 それに関連して、最近の本願寺派の話題を一つ取り上げます。
「このままでは3%教団」などの「苦言」を漏らす大谷門首が、6月17、18日に西本願寺本山で開催された全国布教大会でも、ちょっと「苦言」があったことを中外日報が報じています。
「なるべく雑音は少なくしてください」つまり、「あー」とか「うー」とかいう言葉は少なくして、聞き手の立場を考えよう、というもの。
 また「聴聞に来る方々の中には初めての方もおられます。例えば善導大師に触れる際には『親鸞聖人が尊崇された中国の唐代の僧侶』と少し説明を添えれば、初めて聴聞する方々にも理解できます」と、まだ仏教をあまり理解できていない方への配慮も促したようです。
「教章」を分かりやすくする為に、すべての漢字にルビを振り、なるべく具体的に身近に、ということにも触れたようです。

 とかく、親鸞聖人の教えというものは「難解」なものと受け取る人も多いようですが、それほど難しい教えならば、鎌倉、室町の時代の無学な民衆に爆発的に広まった筈がありません。

 分かりやすく伝えることの重要性……ようやくそこに本願寺も力を入れようとしているようですが、親鸞会では何十年も前から、高森顕徹先生自らが当然の如く貫いてこられた姿勢であり、だからこそ親鸞会にこれだけ多くの老若男女が集った訳です。

 「初めて参詣された方にも、よく分かる」説法を。

 今日も全国各地で、その親鸞会の法話が開かれています。

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「千の風」で死ねるか!と突っかかった教授

 西本願寺の中でも数少ない論客である山崎龍明氏(武蔵野大学教授)が、大阪で「あなたは『千の風』で死ねますか?」と題して講演したと中外日報で報じられていました。

 山崎氏曰く
「『千の風』は癒やしで仏教の救いとは違う」
「私は『千の風』では死ねません」
ときっぱり。
 紅白歌合戦で一躍有名となったこの歌に、真っ向勝負に出ています。

 死んだらどうなるのか……誰もが気になることであり、またさっぱり分からないものでもあります。
 そこへ「私はお墓の中にはいません、千の風になって見守っています」と美しい声で歌い上げれば、「そんなもんかなあ」と癒されることもあるのでしょう。
 スピリチュアルブームで、前世がどうのとオカルト的なことをゴールデンタイムに垂れ流していたテレビ局が叩かれましたが、「千の風になって」の歌も、言ってみれば不確定な死後を歌うオカルトチックなもので、ましてNHKが大々的に流すべき歌なのかどうか疑問です。

 中外日報の中では、「浄土真宗の僧侶の中でも、還相廻向に通じる、と肯定的に受け止められているケースがある」と言っていますが、親鸞会批判の真実のサイトには、実際に西本願寺の法事の法話で「千の風」の曲を流すだけで終わった、という体験談が掲載されています。
 山崎氏が指摘する「仏教の救いとは違う」ものが、堂々と別院の葬儀で流されているのですから実に困った事態です。

 では、本当の救いとは何なのか、還相廻向とは何なのか。山崎氏の講演では、「癒しはいわば自己満足であり、真宗の救いとは違う」としながらも問題提起だけで終わり、教えの真髄が明かされた訳ではないようです。
 後生の問題を真正面から捕らえ、親鸞聖人の教えられた救いの世界を、正しく理解せねばなりませんね。

 ちなみに親鸞会ブログ「菩提樹」でも、「「千の風」がはやるワケ」と題して、この問題が取り上げられていました。

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お東騒動の瑞泉寺。そして大谷派の現状は……?

親鸞会の桜

 親鸞会館は丘陵地帯にありますので、富山の桜開花予想よりも若干遅く咲くのですが、いまが丁度見頃のようです。
 桜……日本人の心の花ですね。本当に。

 話は別ですが、昨日のNHK「ひるどき日本列島」では、富山県井波の木彫りが紹介されていましたね。
 井波と言えば、瑞泉寺。当然、瑞泉寺境内もカメラが回っていました。

 瑞泉寺は真宗大谷派の別院なのですが、かつてはここで一騒動ありました。「お東騒動」と言われますが、門徒の年配の方達が、必死に籠城戦をくりひろげた様子が幾度も報道されました。
 半鐘を打ち鳴らし、町にはサイレンが響きわたり、異様な雰囲気でしたね。

 事の発端は、大谷暢道氏と真宗大谷派側とのニラミ合い。つまりは財産争いに、門徒がまきこまれた形です。教義安心の論争なら結構なことでしたが、さてさて、その後の大谷派の動きは、いかがなものでしょうか。
 「木彫り」という伝統を遺すことも大切なのでしょうが、もっと大切なのは「浄土真宗の正しい教義を伝え遺して行く」ことが、瑞泉寺の本来の使命でしょう。
 
 「浄土真宗を憂うというサイトでは、寺院出身者が本当の親鸞聖人の教えを求めて親鸞会とめぐりあい、現状の浄土真宗について意見を述べています。
 中でも、650年の伝統ある大谷派の寺の住職が、教えを守る為に寺を去る事件がありました(東本願寺(大谷派)S寺事件の真相)。親鸞聖人の教えと、現在の東本願寺・西本願寺等の浄土真宗の現状を、この事件を通して皆さんに知っていただけたらと思います。

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親鸞会と西本願寺との相違点

同じ「浄土真宗」を名乗りながらも、その教えていることは全く違う?
一体、西本願寺親鸞会とは、教義はどこが違っているのか。

そんな疑問に答えているのが、「親鸞会と本願寺との相違点」です。

宿善論争で広く知られている「親鸞聖人の教えに善の勧めはあるかないか」や、「救われたらどうなるのか」「念仏について」「御本尊について」など、10の項目に別けて、詳しく解説されています。

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真宗改革の先達と親鸞会

衰退にあると言われる浄土真宗を、立て直そうと、これまで、どれだけの人々が、情熱を燃やし、挫折していったか知れません。

 明治以降、真宗改革に挑んだ指導者の中でも、真田増丸、七里恒順など有名な人たちの足跡をたどり、今後の浄土真宗親鸞会の存在する意味を考えるのが「浄土真宗親鸞会と真宗改革」です。

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親鸞会と西本願寺の論争

本願寺と親鸞会はどのような理由でもめているのですか?」という質問が、Yahoo知恵袋に掲載されています。

そもそも、伝統教団である本願寺派や大谷派のあり方に満足できない人達が親鸞会に流れたのも事実で、親鸞会には反本願寺のエネルギーが満ちていると言えます。
つまり、親鸞会からしてみれば「本願寺は宗祖:親鸞の教えを正しく伝えていない」ということが、最大の理由です。

簡潔にまとめられていますね。

大きな物では「宿善論争」というものがありますが、それについては「西本願寺さんお答えください」をご覧ください。

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本願寺の現状をのぞいてみる

東西本願寺の現状を嘆く声は満ちていて、本当の親鸞聖人の教えを学びたいという人が親鸞会へ多く集うようになりました。
そんな本願寺の今の状況についてまとめているのが、親鸞会 批判の真実にある「本願寺の現状」コーナーです。

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