携帯電話に「携帯仏壇機能」がついたというお話

携帯電話

携帯電話の普及で、携帯でネットができるようになっただけでなく、支払いもできて交通機関も利用できる……何でもかんでも詰め込んで、便利さの追求はとどまる所を知りません。

そんな携帯電話に、まさかの「信仰機能」まで導入してしまったものがあるそうです。

今回は大マジメ!仏教を信仰する方にお勧めなケータイ
どこでも拝める「南無阿弥陀仏ケータイ」--中国トンデモケータイ図鑑(CNET Japan)

詳細はリンク先を見て頂けばいいのですが、

・金色のボディに、至るところに「南無阿弥陀仏」や「佛心」の文字が……
・壁紙や着信音も仏教を感じさせるもの……
・「蓮の花キー」を押せば、仏像が現れて「移動式仏壇」のできあがり。しかもお仏壇に「浄水」「お線香」「花」「果物」「灯篭」をお供えできるという細かい配慮……

中国らしい代物です。雰囲気としては東南アジアでしょうか。


親鸞会でも、もちろん「携帯用」の御本尊はありますが、まさか携帯電話と合体させようなんてことはありません。
扱いがお粗末になりそうですね。
ポケットに「ポイっ」と入れるような、手軽な扱いでいいのかどうか。
大体、主機能は「電話」なので、耳にあててしゃべる訳です。仏壇をそういう扱いにしていいものかどうか……。

まあ、「そこまでしても、佛と身近になりたい」という強い思いがあってのことなのでしょう。
それだけ、世の中「不安」であることの、裏返しかもしれませんね。


それにしても、「信仰」に、こういった手軽さを求めていいのかどうか、疑問ですね。
覚えておきたい経文や親鸞聖人の言葉を携帯電話にメモリーしておくという使い方は、親鸞会ではよく聞く話ですが、やってもそこまでだと私は思っています。


この「佛心携帯」、機種変更した後の処理はどうなるのでしょうか……。

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喫煙で功徳もゼロ?!【親鸞会と禁煙】

親鸞会と禁煙

今や「禁煙」の波が、愛煙家を呑み込もうとしています。
親鸞会の会館も例外ではなく、富山県射水市の親鸞会館も全館禁煙。もちろん、喫煙所は設けられていますが、館内も敷地内も原則、たばこは禁止です。

これは宗教施設として、親鸞会館に限ったことではなく、全国的にも「寺院」では全面禁煙が広がっている報道がなされていました。

お寺にも全面禁煙の波…たばこは破戒、功徳もゼロ?(読売新聞
 多くの参拝者が集まるお寺の境内を、公共施設と同じように「全面禁煙」にしようという動きが、目立ち始めている。「これも時代の流れ」という受け止め方がある一方、「お釈迦さまの教えに『禁煙』はないはず」という声も。
(中略)
「禁煙。禅の功徳も、たばこを吸えばゼロになってしまう」
 住職が寺に来た時、本堂以外の境内には至る所に灰皿があり、自由に喫煙できた。年間800万人の参拝者には、吸い殻を足元にポイ、という人もいたという。
 来馬住職はもともと循環器内科の医師。この状況がどうにも我慢できず灰皿をすべて撤去し、全面禁煙に踏み切った。「延命地蔵菩薩(ぼさつ)が本尊である寺で、命を縮める行為は相いれません」と、説明にも力を込める。
 福岡県宗像市の臨済宗承福寺。埜村(のむら)要道住職(66)は30代まで喫煙者だったが、今は「身(しん)(からだ)と口(く)(ことば)、意(い)(こころ)を汚すたばこは破戒行為」と、檀信徒に喫煙を戒める。同じく元スモーカーで曹洞宗長泉寺(宮城県角田市)の奥野成賢住職(54)も数年前、「弱者を思いやるのが仏教。寺には幼稚園もある」と全面禁煙にした。
(中略)
 浄土真宗東本願寺派の東本願寺(東京・台東区)は「仏教では直接、禁煙を説いていない。自然の流れに任せる」。曹洞宗の永平寺(福井県)も「規則である『律』ではなく、『戒』をもって自発的にやめるべきだ」という立場。浄土宗の知恩院(京都市)も「各人の自覚が大事」と説明し、この三つのお寺はいずれも喫煙所を設けている。
 それでも「とげぬき地蔵尊」の来馬住職は「お釈迦さまの時代には今のようなたばこがなかっただけ。医師として、宗教人として、禁煙を根気よく説いていきます」と信念を譲らない。
(2009年2月28日)

「禅の功徳も、たばこを吸えばゼロになる」という主張が、何とも激しいですね。
 さすがにそれはないだろう、という気もしますが、身口意の三業を汚す行為だ!と説明されては、なるほどそんな考えもあるのかと思ってしまいます。
 
 たばこの歴史は、中世に入ってからで、確かにお釈迦さまの時代にはなかった文化のようです。
 戒律の中には「不飲酒」があります。一説には、釈尊のお弟子が酒に酔って淫らな姿になったことが発端だとも言われます。もしその時代に「たばこ」が存在してお弟子が喫煙し、他の人に迷惑をかけたり命を縮めたとなれば、お釈迦さまは戒律の中に「禁煙」を入れたかもしれませんね。
 
 仏教界をも揺るがす「禁煙」騒動。
 さてさて、今後はどのような流れになっていくでしょうか。
 どうなろうとも、親鸞会では「館内禁煙」の方針が徹底されていくでしょう。
 


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今だから仏教! これからも親鸞会!

親鸞会

無仏無法の現代、と誰かが言いました。

檀家制度であぐらをかき「葬式仏教」と揶揄されてきた伝統仏教教団も、若者の仏教離れに危機感を相当抱いているようです。
中外日報には「このままでは仏教教団が崩壊する」といった見出しを見ることも少なくありません。
そんな中、親鸞聖人の教えを一人でも多くの方に伝えたいと、親鸞会は日夜活動しているのです。


さて、先日の毎日新聞に、興味深い記事がありました。

今だから仏教! 若手僧侶があの手この手(産經新聞)  カフェで座禅、寺本堂でライブ、ネットで説法…。信者が減少し、寺離れに危機感を強める20、30代の若手僧侶らが、同世代に仏教の魅力を伝えようと、あの手この手の布教活動を展開している。  3日、東京・小石川のカフェを貸し切って始まったイベント「東京禅僧茶房」。座禅や写経などが体験できる7日までの企画だ。開催したのは曹洞宗総合研究センター(東京)。20、30代の僧侶12人が発案し、禅宗の一派である曹洞宗にとって初の試みだという。 (中略)  東京・神谷町の光明(こうみょう)寺の本堂で2月下旬に行われたFMくらしき(岡山県)の仏教番組「拝(はい)、ボーズ!!」の公開録音では読経や法話のほか、落語やロックのライブも披露された。参加した都内の会社員女性(31)は「お坊さんは話が上手で説得力があり、仏教って面白いと思った」と興味津々だった。

 公開録音に協力したのは「インターネット寺院」をサイトで運営する若手僧侶のグループ「彼岸寺」。代表で、東京・西浅草の緑泉(りょくせん)寺副住職、青江覚峰(かくほう)さん(31)は「潜在的に仏教への興味を持っている人に入り口を示すのが役割」と話す。
 
 富山県黒部市の善巧(ぜんぎょう)寺住職、雪山(ゆきやま)俊隆さん(35)もネットで布教を行っている。説法を携帯音楽プレーヤーなどにダウンロードして聴くことができる「ポッドキャスト説法」として配信。10万人以上が登録している。「ネットはお寺の文化を発信しやすい手段」と雪山さん。

カフェを使って写経にライブにラジオ放送。その熱意が伝わってくる内容です。

浄土真宗でも、築地本願寺の「東京ボーズコレクション」が行われたのは大きな話題でした。同じ試みが、広島など全国各地でもなされようとしているとか。
華やかなイベントで人を集めるのはいいのですが、その後続けて縁を持つ「リピーター」が確保できないという悩みをかかえているのも事実のようです。

この記事の最後には、

 文化庁によると、仏教信者は平成2年の9625万人をピークに、18年は8917万人まで減少。仏教の再生を訴える東京工業大学大学院の上田紀行准教授は「地域のつながりが薄れ、若い僧侶にはお寺が消えてしまうという危機感がある。若者の悩みが分かるのは同世代の若い僧侶。寺に来てもらえるよう敷居を低くして、働きかけていくのは重要」と話している。

という仏教再生をめざす大学教授のコメントがありますが、そもそも「仏教の役割」「寺院の存在」とは何なのでしょうか。

「占いやスピリチュアルがブームですが、仏教も負けてはいません」と豪語するのは勇ましいのですが、負けていないのは「仏教の何」なのか?


問題は、「教え」そのものなのです。

今の若者が心底求めているものは何でしょうか。こ
の世界的不況で先の見えないと言われる人生において、「何のために生きるのか」「生きる目的は何なのか」ということではありませんか?

親鸞会は、既に数十年も前から、この大きなテーマをかかげて、親鸞聖人の明らかにされた「人生の目的」を、老若男女隔てなく伝える努力をしてきました。

「今だから仏教!」どころではありません。「今までも仏教!」「これからも仏教!」

華やかなイベントは設けず、一人一人の胸に、じっくりと浄土真宗の教えを伝えてきたのが、地道なる親鸞会の活動でした。

寺院の敷居を低くする努力も大切ですが、仏教の目的は何なのかを見誤ってはならないでしょう。


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新型インフルエンザ対策より大事な対策は??

親鸞会 薬

インフルエンザが流行っています。

親鸞会の法話会場には、大勢の人が集いますので、この時期十分気をつけねばならないことの一つが、この「インフルエンザウイルス」です。

周囲にもちらほらとインフルエンザで休む人が…。

最近、厚生労働省の研究班が、いろいろのタイプのインフルエンザウイルスに効くワクチンを開発した、と聞きます。

「新型」予防にも

いろいろなタイプのインフルエンザウイルスに効くワクチンを厚生労働省研究班が開発した。
従来のワクチンと違い、ウイルスが変異しても効果が続くのが特徴で、動物実験で確かめた。

実用化までには数年かかるとみられるが、新型インフルエンザの予防にも役立つと期待される。

研究班は、国立感染症研究所、北海道大、埼玉医科大、化学メーカーの日油。

通常のワクチンは、ウイルス表面をとげのように覆うたんぱく質をもとに作る。
接種後、ウイルスが体内に侵入すると、抗体がとげを認識して増殖を阻止する。

だが、インフルエンザは、とげの形が異なる複数のウイルスが流行することが多いうえに、頻繁にとげの形が変異するため、毎年のようにワクチンを作り直す必
要があった。流行する型の予測がはずれると、ワクチン接種の効果が薄れた。

研究班は、表面に比べて変異しにくいウイルス内部のたんぱく質を人工合成。

それに特殊な脂質膜をくっつけてワクチンを作った。
このワクチンを接種すると、免疫細胞が、ウイルスの感染した細胞を攻撃する。

(略)

ただ、これまでにないタイプのワクチンなので、人間に使って重い副作用が出ないか、慎重に確認する必要がある。同じ仕組みのワクチンを英オックスフォード大も研究中という。

(略)

2009年1月29日 読売新聞

世界的大流行が心配されている新型インフルエンザに果たして効くのかどうか…。

感染が拡大すれば日本だけで3200万人が感染し、最悪の場合64万人が死亡するといわれています。

何ともおそろしい…、と不安に思いますが、たとえ新薬が開発されたとしても、死ななくなったわけではないので、油断は禁物。

「必ず死なねばならぬのに、なぜ生きるのか?」

すべての人にとって、これ以上、重いテーマはないのですから。

親鸞聖人は、その回答をズバリ明示しています。

「難思の弘誓は、難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」

苦しみ悩みの人生の海を明るく渡す大船がある。
その大船に乗り、未来永遠の幸福に生きることこそが人生の目的だ、との断言です。

親鸞聖人の教えられたことを、今日、親鸞聖人の書かれたものを通して知ることが出来ます。

それでも、800年前の大学者の書かれたものです。誰でも読めるものではありません。

それらの数々の珠玉の言葉の、その正しい意味を、親鸞会の本部会館では毎月、説かれています。

親鸞会の目的は、親鸞聖人の教えを正しく、一人でも多くの方に知っていただくため。

どうぞ、親鸞会館へ足を運んで下さい。

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浄土真宗親鸞会50周年記念大会が盛大に挙行!

親鸞会50周年

11月8、9日と、浄土真宗親鸞会50周年記念大会が、富山の親鸞会館にて行なわれました。

今から50年前と言えば、昭和33年のこと。皆さん、この世に存在していましたか?
長島茂雄がデビューした年でもあり、沖縄はまだアメリカ統治下にありました。
あんまり関係ないですが、記念大会二日目の9日には西武ライオンズ巨人を破って日本一になりましたが、今から50年前の昭和33年、西鉄(今の西武)が巨人を3連敗から4連勝で日本一になったそうです。

歴史の流れを感じさせますね。

記念大会の高森顕徹先生の講演は

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし

の親鸞聖人の「恩徳讃」についてでした。

 身を粉にしても足りない、骨砕きても申し訳ないと、恩徳讃そのままのご一生を貫かれたのが、親鸞聖人でありました。

 戦後の混乱の時期から現代に至るまで、親鸞聖人の教えを明らかにし続けて半世紀、親鸞会の活動の目的は全く変わりません。
 この「如来大悲」と「師主知識の教え」を一人一人の胸に伝えて行くこと。

それが改めて知らされる50周年大会でしたね。

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「人生は無意味」ひろさちやの驚くべき発言と親鸞会の立場

 ひろさちや、と聞けば、親鸞会のみなさんにとってもよく聞く名前です。

 そりゃ宗教評論家だから当然でしょうが、特に思い起こされるのは、テレビ番組『知ってるつもり』の「親鸞」と「蓮如」の回で、ゲスト解説員として登場していた時のことでしょう。
 番組中、泉谷しげると激論をかわしましたが、何とも言えない中途半端で分かりにくい解説に「なんだこりゃ」と思った視聴者も多いことでしょう。

 その、ひろさちや氏へのインタビューが、最近「朝日新聞(暮らしに活かす仏教―ひろ さちや「世間の物差し、仏の物差し」)」に紹介されていました。
 この中で氏は、

 私は、著作や講演などでよく「人生は無意味で、生き甲斐なんてない。だから自分の生きたいように生きようよ」という話をします。
と、とんでもない発言をしています。

 氏によれば、生きる意味だとか生き甲斐などというのは、世間が勝手に定義したものであって、どう生きるのが立派なのかは自分の価値観で決めればいい。つまり自分の好きなように生きればいい、ということだそうです。
 学者になれなかった評論家。変わったことを言えば注目されると思ってのことでしょうか?
 いつも、親鸞聖人の教えを通して「生きる意味」を学ぶ親鸞会会員にとっては、何とも許し難い暴言と言えるでしょう。
 それはなぜか。
 ここでは『なぜ生きる』(高森顕徹監修)から引用しましょう。

ニーチェは『ツァラトゥストラ』で、「人間は、生を見ることが深ければ深いほど、苦悩を見ることが深くなる」と言いました。人生に、本当に求めるに値するものがあるのか、考えれば考えるほど、一切は無意味に思えてくるからでしょう。
「無意味な生をそのまま愛し、受け入れよ」と説く人も、皆無ではありません。
 たとえば宮台真司氏(都立大助教授)は、「なんのために生きるのか」という人生相談で、「生きることに意味(何のため)もクソもないし、まして、生きなきゃいけない理由なんてない」と断言しています(『自由な新世紀・不自由なあなた』)。
 その宮台氏の本を愛読した青年や、受講した女子大生が自殺しました。宮台氏は「誤解を恐れずに言えば、S君は僕の鈍感さによって『殺されて』しまったと言えるかもしれません」と自著でふり返り、自分の話が「結果的に、彼女の無意味感を高める方向に機能してしまった」ようだとも書いています(『美しき少年の理由なき自殺』)。
生きる気力を喪失させる不真実な言説に、猛然と怒りを覚えた人たちが『〈宮台真司〉をぶっとばせ!』と批判書を編集したのも、もっともでしょう。

「なんのために生まれて、なにをして生きるのか、こたえられないなんて、そんなのはいやだ」と歌われているのはアンパンマンのマーチでした。

 生きる目的は、金でもなければ財でもない。名誉でもなければ地位でもない。人生苦悩の根元を断ち切られ、『よくぞ人間に生まれたものぞ』と生命の歓喜を得て、未来永遠の幸福に生きること
……そう明らかに教えられたのが親鸞聖人であり、その「生きる意味」を聞き求め伝えているのが浄土真宗親鸞会であることを知ってもらいたいと思います。

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親鸞聖人の教えと、現代のスピリチュアルブーム

 6月10日、NHKクローズアップ現代では「過熱するスピリチュアルブーム」と題して、宗教は信じないけど前世や占いは信じるという人たちについて放送されていました。

 朝出勤前には盛り塩とお祓いをする20代の若者から、会社の人事など重要事項決定に占い師を頼るベンチャー企業社長など紹介されていました。
 端から見れば、戦争の時期を占いで決めていた古代中国の時代から進歩していないように感じますが、本人たちは大真面目です。
 それだけ、大きく不安が包み込む現代世相を反映しているように思えますね。
 
 ともかく、相変わらずの占い・スピリチュアルブームです。
「あなたの結婚の天命をズバリ教えます」
「仕事運、健康運をアップさせます」
「前世で分かる彼との相性」などなど、メディアは盛んに紹介しています。

 かつて、よく当たると人気だった女性占い師は、番組前にスタッフから、あらかじめ相手の情報を詳細に知らされていたといいますが、今回のクローズアップ現代でも同じ事例が報告されていました。
 第二次大戦の劈頭、電撃作戦でヨーロッパを席巻したナチス・ドイツの高官の中には、占星術師を信じ、占いによる吉日に攻撃をしかけたとも言われます。これまた古代中国と変わりません。

 現代人は、科学だ、合理主義だと言う割りには、そんな占いやスピリチュアルカウンセリングを信じて、一喜一憂しています。
 心の不安がなくならないからでしょう。どれだけ科学が発達しても人の心は安心できず、有り余る物質の中でも、尽きることのない欲は満たされません。

 本当の幸せは、一体どこにあるのでしょうか。

 もちろん、仏教では、そんな占いによって運命が決まるものではないと教え、まして、先祖の霊なるものが生きている人間に禍福を与えることなどないと教えられています。

 親鸞聖人は「かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ」(悲歎述懐和讃)と、日の善悪や占いを信じている人たちを深く悲しまれています。
 作家・司馬遼太郎は、『親鸞思想には、一切呪術性がない』と驚いていますが、仏教の真髄を教えられた方が親鸞聖人ですから、当然のことなのでしょう。
 江戸時代の記録には、「浄土真宗の人たちは、阿弥陀仏一仏に向かい、どんなことがあっても祈祷などせず、病気になっても神だのみをしない」とあります。
 浄土真宗では昔から一切の迷信行為をしなかったのですね。……近年は、そんなことを知るどころか実践している真宗門徒など皆無ではないでしょうか。

 もちろん、親鸞会では、本当の親鸞聖人の教えが説かれていますから、占いや迷信行為に迷うことなどありません。親鸞会では、常に仏教の根幹である「因果の道理」に従って、自分の行為が自分の運命を決めると、明らかに教えられています。

 スピリチュアルブームの不安な現代だからこそ、親鸞聖人の教えが渇望されているのだと思いますね。

(参考)
 特集:人生の目的
 人間の運命は、何によって定まるのか(仏教講座)

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「心は浄土に遊ぶなり」……命の尊厳・親鸞聖人降誕会

秋葉原

 6月8日、親鸞会では「親鸞聖人降誕会」と言われるご法話が行なわれていました。

 降誕会とは、親鸞聖人のご生誕(5月21日)をお祝いし、浄土真宗の教えを心静かに聞かせて頂く法筵のことです。

 その昼間に、まさか秋葉原で無差別殺人事件が起きていたなどとは、知りませんでした。
 帰宅して見た夜のテレビニュースで、なんとも驚いたものです。
 
 降誕会では

 超世の悲願ききしより
 われらは生死の凡夫かわ
 有漏の穢身はかわらねど
 心は浄土に遊ぶなり

の親鸞聖人のご和讃について、詳しく聞かせて頂きました。

「心は浄土に遊ぶ」……阿弥陀仏の本願によって救い摂られ、生まれてきて本当によかったという生命の大歓喜の身となる……これこそ、生きる目的であり、この心の世界あってこその「生命の尊厳」でしょう。

 だからこそ、他人の命など決して奪ってはならない。

 なぜ命は尊いのか……それを親鸞会では明らかに教えられていますし、一人一人の胸に伝える活動をしているのです。


 それにしても、いつどんなことがあって命を落とすことになるか分かったものではありませんね。
 親鸞会のご法話には、どなたでも参詣できますが、参詣者の安全を確保し、心から聞法できるように、警備スタッフも頑張っています。
 参詣される皆さんも、マナーを守って、親鸞聖人の教えを聞かせて頂きましょう。
 
(平成20年降誕会の様子)
 http://www.shinrankai.or.jp/news/200806goutane.htm
 http://www.shinrankai.net/diary/2008/06/20goutane/

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相次ぐ硫化水素自殺に、浄土真宗が取るべき姿勢とは

 硫化水素自殺の報道が相次いでいます。

 一時期「練炭」による集団自殺が問題となりましたが、それよりも「手軽で、楽に死ねる」という情報が出回ったせいでしょうか。
 しかし、発生する「硫化水素ガス」の影響で、マンションや周辺住民など多く人々に迷惑をかける正に「テロ行為」。
 ガス発生方法がネットで話題になったことからか、中高生を始めとしたネット慣れした若い世代に硫化水素自殺が多いのも大きな特徴でしょう。警察もプロバイダーにそういった情報の削除を求めるなどの対策を講じています。

 まず何よりも、尊く大切な命が失われることは、何としても避けなければなりませんね。

「死んで楽になれる」という人がありますが、それが本当なら、辛く苦しい人生を生きるよりも自殺する人の方が賢いことになってしまいます。
 浄土真宗親鸞会のサイトには、「突きつけられた問い"なぜ生きる" 自殺者 3万人時代に提言」と題して特集を組むなど、失われる命について親鸞会会員の声を紹介したり、また仏教の教えから「自殺を止められた釈尊の譬え話(仏教講座)」を掲載しています。

 先日のニュースにも話題になっていましたが、本願寺派も自殺問題について個別の僧侶まかせだった方針から、宗派として取り組む姿勢を見せています。

自殺問題:深刻化…浄土真宗本願寺派、調査へ−−全寺院対象、中旬から(毎日jp)
 硫化水素自殺の多発など自殺問題が深刻化する中、浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺、京都市下京区)が同派の全寺院約1万カ寺(僧侶約3万人)を対象に「自死(自殺)問題実態調査」に乗り出す。自殺者の葬儀や自殺相談、遺族支援をした経験の有無などについて調べる。

 
 記事中には「「自殺予防・防止に僧侶がかかわることができると思うか」といった問題意識についても聞く。」とあるように、まずは僧侶の対応の現状と意識の把握からのようです。
 ……それでは遅すぎではありませんかね。

 親鸞聖人は、生きる意味を明らかに教え伝えられた方でした。まずは、浄土真宗の教えを通して、その「人生の目的」「命の尊さ」を世に明示していくことが先決なのでしょうが。

 親鸞会としても、大いに情報を発信していってもらいたいと思います。

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「『歎異抄』だけで親鸞を市民に語る時代は終わった」

 さてさて、なぜか「歎異抄」が熱いです。

 なぜかを改めて説明するまでもありませんが、特に気になったのは、朝日新聞平成20年3月25日付の「親鸞よもう一度 750回忌法要前に思想を再検討」の記事。
 親鸞聖人750回忌を直前にして、その再検討が進んでいる、と報じられています。
 それに乗じたのがどうか知りませんが、「歎異抄」の解説本が最近になって数多く出されていることも、注目に値します。

 この朝日の記事の中で興味深いのは、東大教授のコメント

 だが、東京大の末木文美士教授は「『歎異抄』だけに頼り解釈を進めるべきではない」と言う。親鸞の死から20年ほどして弟子の唯円が書いたとされており、「親鸞自身が書いた一次資料ではない」として親鸞の主著「教行信証」を重視する立場だ。
 末木教授によると「教行信証」の往生説と、空海の即身成仏説との類似点を指摘することも可能だ。ただし、読解には幅広い仏教の知識が必要で、研究者以外には「教行信証」は敬遠されてきた。「だからといって、『歎異抄』だけで親鸞を市民に語る時代は終わった」と指摘する。

 教義を学ぶ時には、「歎異抄」ではなく「教行信証」に基づかなければならない、という当然の指摘がなされています。
だが「歎異抄」は古来カミソリ聖教ともいわれ、危険な書としてもしられる。かの蓮如上人が
「当流大事の聖教なり。無宿善の機には左右なくこれを許すべからざるものなり」
と、仏縁のない者には、みだりに読ませてはならないと封印されたほどだ。
 (親鸞会公式サイト「出版ブームの「歎異抄」より)

  先日、教行信証の坂東本に「角筆」が見つかったという報道がなされ、教行信証に今、注目が集まっています。

 親鸞聖人の著述、お言葉を通して学んで行く……親鸞会会員にとっては当然の姿勢なのですが、今、それが非常に大切な時代にあるのだと分かりますね。

(参考:親鸞会関連サイトより)
 >>止まらぬ自殺と歎異抄
 >>「誤解された歎異抄」を読んで
 >>歎異抄、思いっきり現代誤訳?浄土はこの世のことか。

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