「人生は無意味」ひろさちやの驚くべき発言と親鸞会の立場
ひろさちや、と聞けば、親鸞会のみなさんにとってもよく聞く名前です。
そりゃ宗教評論家だから当然でしょうが、特に思い起こされるのは、テレビ番組『知ってるつもり』の「親鸞」と「蓮如」の回で、ゲスト解説員として登場していた時のことでしょう。
番組中、泉谷しげると激論をかわしましたが、何とも言えない中途半端で分かりにくい解説に「なんだこりゃ」と思った視聴者も多いことでしょう。
その、ひろさちや氏へのインタビューが、最近「朝日新聞(暮らしに活かす仏教―ひろ さちや「世間の物差し、仏の物差し」)」に紹介されていました。
この中で氏は、
私は、著作や講演などでよく「人生は無意味で、生き甲斐なんてない。だから自分の生きたいように生きようよ」という話をします。と、とんでもない発言をしています。
氏によれば、生きる意味だとか生き甲斐などというのは、世間が勝手に定義したものであって、どう生きるのが立派なのかは自分の価値観で決めればいい。つまり自分の好きなように生きればいい、ということだそうです。
学者になれなかった評論家。変わったことを言えば注目されると思ってのことでしょうか?
いつも、親鸞聖人の教えを通して「生きる意味」を学ぶ親鸞会会員にとっては、何とも許し難い暴言と言えるでしょう。
それはなぜか。
ここでは『なぜ生きる』(高森顕徹監修)から引用しましょう。
ニーチェは『ツァラトゥストラ』で、「人間は、生を見ることが深ければ深いほど、苦悩を見ることが深くなる」と言いました。人生に、本当に求めるに値するものがあるのか、考えれば考えるほど、一切は無意味に思えてくるからでしょう。
「無意味な生をそのまま愛し、受け入れよ」と説く人も、皆無ではありません。
たとえば宮台真司氏(都立大助教授)は、「なんのために生きるのか」という人生相談で、「生きることに意味(何のため)もクソもないし、まして、生きなきゃいけない理由なんてない」と断言しています(『自由な新世紀・不自由なあなた』)。
その宮台氏の本を愛読した青年や、受講した女子大生が自殺しました。宮台氏は「誤解を恐れずに言えば、S君は僕の鈍感さによって『殺されて』しまったと言えるかもしれません」と自著でふり返り、自分の話が「結果的に、彼女の無意味感を高める方向に機能してしまった」ようだとも書いています(『美しき少年の理由なき自殺』)。
生きる気力を喪失させる不真実な言説に、猛然と怒りを覚えた人たちが『〈宮台真司〉をぶっとばせ!』と批判書を編集したのも、もっともでしょう。
「なんのために生まれて、なにをして生きるのか、こたえられないなんて、そんなのはいやだ」と歌われているのはアンパンマンのマーチでした。
生きる目的は、金でもなければ財でもない。名誉でもなければ地位でもない。人生苦悩の根元を断ち切られ、『よくぞ人間に生まれたものぞ』と生命の歓喜を得て、未来永遠の幸福に生きること
……そう明らかに教えられたのが親鸞聖人であり、その「生きる意味」を聞き求め伝えているのが浄土真宗親鸞会であることを知ってもらいたいと思います。
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