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「人生は死に至る戦ひ」と言い残して「死」を選んだ人生

 芥川龍之介の、焼却されたはずの遺書が見つかったそうです。
 朝日新聞によると、

 35歳で自殺した作家芥川龍之介の遺書4通の現物が、東京都目黒区の遺族宅から見つかった。芥川の遺書の内容は6通分が全集に収録されているが、一部を除いて焼却処分されたと思われていた。
 今回新たに現物が見つかったのは、妻あての2通と「わが子等(ら)に」と題された子供たちにあてた1通、友人の菊池寛にあてたと思われる1通。
 芥川らしい細い字体で、「人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず」(子供たちあて)など、一字一字楷書(かいしょ)で丁寧に書かれている。(一部省略)
「人生は死に至る戦ひ」芥川龍之介の幻の遺書4通発見

とのことですが、「死に至るまで戦い続けるのが人生だ」と言いたかったのでしょうか。
 しかし、戦い疲れて「死」を選んだ芥川の胸中や如何に。

 芥川龍之介は、別の遺書で、次のように書いています。

 誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない……僕は君に送る最後の手紙の中に、はっきりこの心理を伝えたいと思っている。(中略)君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであろう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。(中略)少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である
(或旧友へ送る手記)

 自殺の心理に、ひいては現代が直面する問題に、芥川は解明の糸口を与えていないでしょうか。

 それにしても芥川龍之介の人生を見てみると、正に「戦い」というか「苦難」の連続でした。
 詳しいことはWikipediaの芥川龍之介の項や、おなじみ「親鸞会・名句名言のウラ側は」の芥川龍之介のページを見て頂きたいので、ここでは省きます。

 自殺前の芥川には、八人の扶養家族がいたと言われます。
 妻と三人の子供、養父母など……そこに突然姉の夫が鉄道自殺し、その遺族が加わり、十二人になりました。
 また、その夫が抱えていた高利の借金が重くのしかかり、芥川自身、病気も忘れて東奔西走する中、猛烈な勢いで筆を走らせたそうです。

「僕は多忙中ムヤミに書いている。婦人公論十二枚、改造六十枚、文藝春秋三枚、演劇新潮五枚、我ながら窮すれば通ずと思っている」(知人への手紙)

 芥川は、気力と睡眠薬とで、辛うじて生を保っているに過ぎなかったそうです。最後の力を振り絞る——だが、何のために?

「死にたがっているよりも生きることに飽きているのです」(或阿呆の一生)
「彼は彼の一生を思い、涙や冷笑のこみ上げるのを感じた。彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだった」(同)
「僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?」(歯車)

 これらの言葉を遺稿に残し、芥川龍之介は、三十六年の生涯を薬物自殺で閉じた……。

 人生は、この傷つきやすい作家には重荷であったのでしょう。

 再び遺書から引用しましょう。
「僕はゆうべ或売笑婦と一しょに彼女の賃金(!)の話をし、しみじみ『生きる為に生きている』我々人間の哀れさを感じた」(或旧友へ送る手記)

 人生は、多少の歓喜を除けば、多大な苦痛を与える「涙の谷」。
 絶え間なき苦難と闘って、なぜ生きねばならぬのか。意味も目的も分からず、「生きるために生きる」以上の悲劇はないでしょう。
 そんな人生を、「地獄よりも地獄的である」と芥川は表現したのでしょうか。(侏儒の言葉)

 私たちが最も知りたい、また知らねばならないのが、人生の目的でしょう。
 真の人生の目的を知った時、一切の悩みも苦しみも意味を持ち、それに向かって生きる時、すべての努力は報われるのです。

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