本来あるべき寺の姿は?
昔、僧侶といえば聖職でしたが、今はどうも違うようです。
「坊主」と言えば、「葬式坊主」「糞坊主」「坊主まるもうけ」、果ては「三日坊主」などろくな言葉が付きません。
さて、親鸞聖人の教えを聞き求める人の声を、いくつか集めているサイトがあります。
また、本願寺派門主の著書や発言について考察するページもあります。
それにしても、東西本願寺を始め、真宗各派の現状を見るにつけ、いたたまれない気持ちになる。
「歴史上の人物ペストワン」とまで賞賛されている親鸞聖人、その教えを学び求めたい人は数多く存在する。しかし、本来仏法が説かれる場である寺が、教えを説かないとするならば、そのご門徒の方々は、寺による被害者と言わざるをえないのではなかろうか。親鸞会と寺院の構図 寺の被害
親鸞聖人の教えが知りたくて寺に行っても、教えてはくれなかった。
浄土真宗を真面目に学びたいという人ほど、現在の東西本願寺の状況に悲しい思いをしています。
そしてそんな方々が、親鸞会に集い、仏教を聞き求めているのです。
これはある意味、寺の被害者と言えるかと思います。ですが、わざわざ「被害」などと言って事を荒立てるつもりはなく、もっと現在の浄土真宗各派には頑張ってもらいたい、という気持ちをこめて作られているようにも思います。
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